コメント
平家物語に導かれて
山の頂に立つと、凄まじいばかりの風の中に抑え入れられた。旧暦の霜月ともなれば海を渡る風も凍えるような寒風となる。吹き抜ける風の中、塩高はまるで禊(みそぎ)でもするようにその中に立つ。玄海灘から宇和の海へ吹きぬける風は、まさしく大陸から日本へ向かって吹いていた。彼が感じていたのは琵琶の音の由来ではなく、ひとつの魂として渡ってきた何かである。
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色
盛者心衰の理をあらわす
これまで何度、この一句を耳にしたことだろう。そうでありながら、ほとんどの人たちが聞いた記憶がないというのは何故だろう。果たして言葉として知ってはいても、肉声として記憶されていないということである。それほど近くて、しかし、それほど遠い。
その山の上からは、遠くには国東(くにさき)半島を見渡すことができる。目の前には壇ノ浦、そしていくつもの島々が累々と連なる多島海が広がっている。かつて、ここに暮らした人々にとって海はすべてに繋がる道であった。しかし、ある時代、ある人々にとってそこはもうどこにも繋がることのない終焉の地となった。平家物語の最後の巻はそう語っている。
「『壇ノ浦』をやるということは僕の流派では、独り立ちを意味することなんですよ」
一年のうちに立て続けに発表された二枚目のCD「まろばし」。その中に『壇ノ浦』が収録されている。塩高は琵琶をかき鳴らし語る。一年前、一刻だけ触れた琵琶の音色。その音にもう一度出会いたいという支援者の願いからその旅は始まった。その音と旅にでるという支援者のささやかな、しかし大それた願いは叶えられ、塩高たちは壇ノ浦まで平家物語に導かれて旅をすることとなった。平成十五年十二月十三日から二十一日にかけて、「沙羅双樹の花の色」と銘打たれたその演奏ツアーは、大阪から始まり、福原、広島の厳島、そして壇ノ浦へと続いた。
奢れる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
戦後、日本人の魂を揺さぶるものとして琵琶を歓迎しない時代の空気があった。琵琶にそれだけの力があったということだろうか。琵琶を恐れた人たちは何を恐れたのだろう。
細胞に眠る記憶のすべてを回顧させ、今にいきる我々の魂と懐かしい邂逅を得る。琵琶の線が魂に触れる。それは平家に導かれた巡礼の旅、多島海を吹き抜ける風の中に立つ。
琵琶は何を語ろうとしていたのか。塩高という肉体を仮屋として。
かつて芸は神事であった。芸は神に捧げるべきものであり、それは魂の母胎への回帰であった。
かつての古代信仰の中に「宿(スク)」というものがあった。宿は森の中に潜みこの世を見つめている。そして人が祈りを捧げる神事を執り行うときには森からでてきてその人に宿る。宿り人は人事を越えた芸をなすことができたという。
塩高は琵琶に何を求めているのかと聞いてみた。
「一音成仏」
彼の口がその一言を発したあと彼は言葉を探していた。ひとつには集約されたあらゆる言葉の数々を解きほぐして、なお他者に説明するためには少し時間が必要になる。
「一つの音の中にすべての仏がいる。つまり、音の中にこの世を含めた宇宙そのものがあるということだと思うんです。この感覚というのは、どうも日本人にしか表現しえないような気がするのです。例えば、『もののあわれ』という言葉。これは英語では決して表現することのできない感覚をその背景に持っている。そして、たとえ琵琶が大陸からもたらされたとしても、この日本という場所でしか成立しえなかった精神文化がそこに宿っていると思うのです」
この旅の最初に掲げた平家物語の一句は、この時代において日本人の心を呼び起こさせるものであり、脈々と繰り返され煩悩に振り回される人の世の空しさ、儚さ、それらと重なり合うというか繰り返されるというか。「沙羅双樹の花の色」という彼の演奏ツアーは、彼の琵琶にとってひとつの通過儀礼の役割をしたような印象を受ける。最後の予定地である赤間神宮において、彼の奉納演奏が終わった瞬間、宮司が思わず小さなひと言を発した。
「おみごと」
|