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魚信の由来
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魚信の屋号は80年、建物は約100年になります。

明治末の尾道港の写真にすでに魚信の建物が写っています。
謄本によりますと大正13年(西暦1924年)からの登記で始まっています。
大正15年(西暦1926年)の尾道商工案内に尾道調理組合の広告に「魚信」が出ています。
昭和5年(西暦1930年)の尾道商工名鑑に業種は「料理・仕出」の項に「魚信」が国税営業収益納税者として掲載されています。この時の住所は「久保町」電話は「377番」代表者は「備前信次郎」とあります。

備前信次郎さんの名前から「信」(のぶ)の字を一字とって魚信(うおのぶ)という屋号が始まりました。
その後、昭和11年7月にご子息の備前亀治郎さんが所有権の取得の登記をしています。


賀陽宮様が尾道にお越しになられた時、さる由緒あるご邸宅にお泊りになられ、魚信から仕出しをいたしました。
昭和25年頃改装工事を行いほぼ現在の建物になりました。
この時「初音」のお部屋を増築して3階建てになりました。
「日立造船」や三原市にある「帝人」のご利用が多かったと聞いています。
入口の横の応接室には昭和22年の料金表が残っています。
広島県旅館業協同組合の旅館宿泊料金表には、1泊2食付で一等八五圓・二等八〇圓・三等七〇圓と書かれ、横には英文字がちゃんと記されています。
その当時尾道には千光寺山のある個人の別荘にGHQの情報部があり、その人たちが魚信を利用されたこともあり、英語表記はお部屋にもあります。

その後昭和40年から現在に至るまでの40年間以上、株式会社千光寺山荘グループの料亭旅館魚信が経営に当たっています。
建物としては、昭和52年ごろ、海岸通りの市道拡張で建物を一部削って塀を後ろに下げた他には外観はほとんど変っていません。
数寄屋造りの建物を目当てに魚信にお見えになる観光客の方も多く、今後も現在の形状を守って行きたいと思います。
細部の造作の補修なども原形を保持するように努めています。
「古い建物は古い友だち」というように、価値のある存在として手入れを怠らず、維持管理に努めています。
今から100年先も魚信が今の姿で残るように・・・。そして訪れる人がほっとするまちなみが残るように。

平成23年
12月13日
料亭旅館 魚信
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